繊細さんが生きやすくなる!?絶対読むべき本!HSPの私がうつになった経験談

HSP

[ad]日頃から

・一人時間がないとつらい
・人と長時間一緒にいると疲れる
・他人の言動を重く受け止めてしまいネガティブになる

等で落ち込むことはありませんか?

私は自分が繊細すぎて、人より劣っているダメな人間なんだと常日頃から感じていました。

コミュニケーション能力が高く、大勢の中でも楽しそうにしている人や、楽観的で前向きな人を見ては、自分もあんなふうになれたら人生もっと楽しいのに・・・この社会って生きづらい・・・と自己肯定感は下がっていく一方。

コミュニケーションに関する自己啓発本を読んでは、律儀に実践するもなかなかうまくいかず・・・
自分って何なんだろう?と負のループに陥っているときに1冊の本に出会いました。

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この本に出会って初めて「HSP(Highly Sensitive Person・ハイリー・センシティブ・パーソン」というものを知りました。

そして、自分の繊細さは個性であり、うまく付き合っていく方法があるということを知り、無理に自分を変えずありのままの自分を受け入れようと思い直すことができました。

これから、HSPの私が人生でぶつかったたくさんの壁をご紹介しますので「それわかる!」と共感された方(私のように人生生きづらい!と感じている方)にはぜひ読んでいただきたい1冊なのでご紹介させていただきます!

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1.HSPって一体何?

そもそも、HSPって何ぞや?と思われいる方も多いと思うので簡単にご紹介すると、HSP(Highly Sensitive Person・ハイリー・センシティブ・パーソン)は、「とても敏感な人」だといわれています。

時代によっては「抑圧されている」「心配性」「恥ずかしがり屋/シャイ」「神経症」と呼ばれ、典型的には「控えめで物静かにゆっくり物事を熟慮するタイプ」といわれています。

2.これまでぶつかってきた壁

これから、私が繊細すぎるがゆえに苦悩し、ぶつかってきた壁についてご紹介します。

・小学生

小学校高学年の頃、私はいじめに遭いました。

映画やドラマで観るような壮絶ないじめではありませんでしたが、女の子特有のグループで無視をしたり、影で悪口を言われて仲間はずれにされたりというようなものです。

私が何か彼女たちの気に障るようなことを言ったのか、やったのか、正直理由はわかりませんが当時の私は「学校に行くのがつらい」「もう人生終わりにしたい」と思っていました。

誰にも相談できず、ノートに気持ちを吐き出していたところ、それが母に見つかり、母が学校に直接抗議しに行ったのです。

当時の私は「お母さんやめてよ恥ずかしい。」と思っていましたが、現在は母が学校に乗り込んでくれたことにとても感謝しています。

先生に呼ばれて、いじめをしていた子と話し合いをさせられたりして、気まずい嫌な思いもしましたが、結局はいじめはなくなったからです。

母のおかげで、人生を終わらせたいと毎日泣いていた日々からは解放されましたが、心には大きな傷が残りました。

不思議なことに今でもストレスが溜まって鬱々としてきたり、理不尽な扱いを受けて落ち込んだりすると、この頃の記憶が鮮明に蘇ってきます。

そして結局最後に「自分はいじめられるような最底辺の人間なんだから、この現状を我慢して耐えるべきだ。自分は周りの人に意見できるような人間じゃないんだから。」と自己犠牲の結論に落ち着くのです。

・中学/高校生

地元の中学校に行きたくなかった私は、両親に相談して私立の中高一貫校を受験しました。

中学に入ってからは、周りから「あいつ影薄い」「暗い」「陰キャ」と思われたくない一心で、とにかく努力して、いじめられていた自分を隠していました。

何を言われても笑顔でやり過ごせば、波風をたてずにいられると信じ、自分の意見なんかどうでもいいといつもニコニコしていました。

そんなふうに自分を殺していても友達から「あの子は自分の意見を全然言わないよね。」なんて陰口を叩かれるんだから、結局一定数には嫌われるものなんですよね。

それでも、明るく振る舞っていたおかげで友達はいたし、充実した学校生活を送ることができていました。

・大学生

大学時代はテニスのサークルに入り、気の合う仲間と日々楽しく過ごしていました。

ただ、夏になるとサークルで、山梨県の民宿に7日間合宿に行くのですが、これが本当に嫌でした。

寝るときもご飯を食べるときもお風呂に入るときもずっと人がいて、心が休まる時間が全然ありませんでした。

最初の1日2日までは耐えられるのですが、後半はいつもぐったりして涙が出てくるのです。

サークルのメンバーは大好きでしたし、何か嫌なことがあったわけでもないのにどうしてこんなにつらいのか自分でも理解できませんでした。

また、合宿を全力で楽しく過ごしている友人を見ては、「私はどうして楽しめないんだろう。自分は他の人より劣っているんだ。」と思うようになりました。

今思えば、家族以外の人と1週間も寝食をともにすることはこれが初めてでした。

・会社員

自己否定が続いた就職活動をなんとか終え、第2希望の会社に入社し、忙しい毎日を送っていましたが、異動で希望とは異なる窓口での業務をすることになりました。

私はいつも笑顔でニコニコしていたため、窓口での業務が性格的にも合っていると思われたのでしょうが、窓口での接客は想像以上につらいものでした。

お客さんの中には突然怒り出してクレームを言う人もいたし、こちらが書類の整理をしようとしても窓口に人が来ればすぐに立ち上がって対応しなければいけないため、自分のペースで仕事を進めることはできませんでした。

また、お金を扱うミスの許されない仕事なのに、窓口に人が並んで、それが列になってくると「早く捌かなければ。」とプレッシャーを感じてしまっていました。

さらに当時、一緒に窓口を担当していたのは50歳過ぎのおじさんで、この人がまた全然仕事を手伝ってくれないのです。

そのおじさんは喫煙者だったので、ふと見ると喫煙所に行っていて席にいないため、窓口にひっきりなしに掛かってくる電話は私がほとんど対応していましたし、おじさん宛にかかってきた電話を私がとってしまうと、忙しいのにわざわざ伝言メモを残さなければならず、そのメモについておじさんからいちいち質問されるのもストレスでした。

そんな生活を半年ほど続けていたところ、突然布団から起き上がれなくなってしまい、仕事に行けなくなってしまいました。

涙があふれて止まらなくなり、「もう何もかもどうでもいい。」と無気力になってしまいました。

元々の繊細な性格のため、接客対応はものすごく疲弊するものでしたし、加えて、窓口が忙しい時期に異動になったこと、一緒に働くことになった同僚のおじさんのやる気がなかったこと、年功序列を重んじる会社だったため、若手だった私は午前6時30分から1人で職場の清掃、ゴミ捨て、シュレッダーを行い、書類整理のため午後10時頃まで残業させられていたことなどが重なり、それまでなんとか耐えていた糸が頭の中でプツンと切れた瞬間でした。

明らかに自分の状態はおかしいと思い、このとき初めて精神科に行き、軽いうつ状態であるとの診断を受けました。

・育児

会社の上司に相談して、窓口業務は外してもらえることになり、また、精神科で処方される薬を服用するようになってから、症状はかなり落ち着きました。

それでも、別の部署から来た新しい上司が、仕事をしているふりだけしていて寝ていたり、セクハラまがいの言動をしたり、仕事ができないのにでかい態度を取ったりすることに我慢ができず、このまま仕事を続けていくのは厳しいと感じるようになっていました。

当時交際していた彼には色々と相談していましたが、そんな折にプロポーズを受け、結婚し、その後に子どもを授かったため、育休を取得し仕事はしばらくお休みすることにしました。

元々子どもはあまり好きではなかったので、正直不安な気持ちもありましたが、赤ちゃんは本当に心の底からかわいいと思いました。

自分のような何の価値もない人間が赤ちゃんを産んでもいいのだろうかと悩みましたが、ここまで無条件に愛情を注げる存在がいるのだと驚き、同時に私も両親からたくさんの愛を受けていたことを実感できたいい経験でした。

本当に子どもはかわいいのですが、子どもが1歳を過ぎて、歩き始めた頃から自宅での保育が難しくなってきました。

「外に遊びに行きたい。」と子どもがジェスチャーで伝えてくるので、着替えをさせて外に連れ出すのですが、子どもは好奇心旺盛で、地面に落ちているお菓子の包み紙や煙草を拾おうとしたり、水たまりに突っ込んでいったりするのです。

その頃、子どもはちょうどイヤイヤ期に入っていたため、こちらが思惑を阻止すると、全力で仰け反って泣いて、地面に寝転がって泥だらけになったりしました。

若干神経質なところがあった私は、毎回外に散歩に行くたびに服が汚れるのが嫌だったし、途中で歩かなくなった子ども(泥だらけ)を抱っこして帰るのも負担でした。(子どもと散歩をしていると年輩の方がよく「かわいいね。おりこうさんだね。」と声をかけてくださるのですが、それに対して「ありがとうございます。」と笑顔で返さなきゃいけないのもつらかったです。)

このときも仕事と同様、突然涙が止まらなくなり、「私に子育ては無理だったんだ。『泥だらけになるくらいなんてことない』と笑って言える前向きで明るいお母さんならよかった。」と塞ぎ込んでしまいました。

子どもが生まれてから「自分は育休中なんだから。」と苦手な家事をして、「旦那さんは仕事で疲れているんだからゆっくり休みたいはず。」と思い込み、子どもの世話や寝かしつけを自ら買って出て、「子どもの要求にはできる限り応えてあげたい。」と何もかも完璧にこなそうとした結果、人に頼ることができず自分自身を追い詰めることになりました。

本当は毎日少しでも、一人、家族と離れて別の部屋で過ごす時間がほしいのに、なんとなくそれが悪い事のような気がして、リビングで見たくもないテレビ番組を見ている時間が苦痛でした。

決死の思いで旦那さんに気持ちを打ち明けたところ、「そんなこと思ってたの?もっと頼って。」と優しい言葉をかけられたときは、「どうしてもっと早く助けを求めなかったんだろう。」と後悔しました。(旦那さんは私とは真逆の楽観的で明るい人です。)

現在は、実家の母と旦那さんに手伝ってもらいながら、自分の一人時間を過ごすことができるようになってきました。

そんなときに出会って救われたのが「鈍感な世界に生きる敏感な人たち」という本です。

3.私の対策(取扱説明書)

この本では、HSPは病気ではなく、「左利き」のような生まれ持った性質であり、世の中の5人に1人がHSPであるとしています。

100人いれば20人がHSP、逆に言えば、世の中の大多数8割の人はHSPのような思考回路持たない人だということです。

「外交的でタフな人」が評価される世の中で、私たちHSPは自身の「創造力や共感力、親しみ」という長所に気が付かないまま自身を卑下し、真面目であるがゆえに、ただひたすらに自尊心の低さに苦しんでいるのです。

「鈍感な世界に生きる敏感な人たち」を読み、そのことに気付かされたときは思わずハッとしてしまいました。

本の内容を受けて、私なりの今後の対策(取扱説明書)をご紹介します!

  • 他人の言動をネガティブに捉えそうになったときは、「他の人はそれほど考えて言葉を口にしていない」と考え、言葉の裏を読まないようにする
  • 一人でご飯に行ったり、公園でぼーっとしたり、体を動かす時間を意識的につくる
  • 感情移入しやすく影響を受けやすいため、SNSでネガティブな投稿は見ない
  • 大人数の集まりなどは疲弊するため、まだいけると思っても途中で帰る
  • 自分は平穏な日々の中に幸せを見つけることが得意だということを自覚し、タフな人を羨まない
  • 断ることに罪悪感を覚えないようにする(自分には休息が必要だと伝える)
  • 人にお願いしたり頼ることは悪いことではないと知る

4.まとめ

HSPにも色々な種類があり、人の数だけ性質は異なります。

必ずしも私の経験に全員が共感することはないと思いますが、HSPは自分以外にも同じように生きづらいと感じている人が一定数存在していることを知ると安心するそうです。

私がこの本を読んで「自分と同じように苦しんでいる人がいるんだ。」と安心したように、私の経験がぜひこの本を手に取るきっかけとなると嬉しいです。

ご自身独自の人生の対策(取扱説明書)を立て、ありのままの自分を愛しましょう!

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